3月11日(水)の役員研修は、高知商工会館にて18:30より、社団法人倫理研究所中国四国副方面長 松本 真志氏に「倫理運動の草創期」というテーマで講和をして頂きました(参加役員8名)。
倫理運動とは何か、創始者・丸山敏雄先生はなぜ倫理運動を始めたのか。
役員の皆さんはかなり疑問があり、悩んだことも多々あることでしょう。
しかし、役員研修に参加された8名の役員は全員、目からうろこが落ちるような感じを受けたのではないでしょうか。
経営者は、複眼を持たなければなりません。
現在、どういうことが起こっているのか、本質を見極め、情報に振り回されてはいけません。
トップリーダーは、まず、古きを知り、新しいものを見極めなければなりません。
そのためにも歴史を知り、いかなる働きによって倫理運動の基盤を築いてきたのか。その壮絶な生き方に触れることが、倫理運動の推進者として大切なことです。
丸山敏雄先生は、59年間の人生のうち、35年間学校に所属していました。
人生の難問を解決すべく宗教修行に打ち込んだこともありました。折しも、戦時下、宗教は弾圧され、丸山敏雄先生もぬれぎぬを着せられ、1年あまりを牢獄に過ごしました。
終戦の年、日本人の行く末を案じ、自ら立って先導することを決意。
昭和20年9月3日、「夫婦道」という論文を書き始めました。「この平和と世界文化建設の大任に入る」と日記には記されています。
ここに、丸山敏雄先生たった一人が放つ小さな動き、まぎれもない道義再建への歩みが始まりました。
自分がやらなければ誰がやるという気持ちで、「国家再建」を念頭に、復員してきた弟子とともに、研究発表を開催して、新たな価値体系の倫理運動の気運をつくり上げていきました。
「万人幸福の栞」17ヵ条には、すべて丸山敏雄先生自身が実験、検証した事実に基づく法則がまとめられています。
ピンチはピンチ、苦しみは苦しみ、まずは受け入れることが大切です。ものごとをそのままに受け止め、あるがままを生きることです。
丸山敏雄先生は、日本の伝統を踏まえながら、時代の嵐をくぐり抜けて不動の自己を確立し、倫理運動を通じて実に多くの人を助け、救っています。
丸山敏雄先生の最後の言葉は、「急ぐな」、「先のことを心配するな」、「自然に任せて処置をとれ」、「これでよい」、「喜べ」。
この5つの語句が、丸山敏雄先生の生涯を賭けた戦いの全てを語っていると思います。
役員研修の後、懇親会を「祭り茶屋」で行い、松本副方面長を囲んでなごやかな雰囲気の中で楽しいお酒を頂きました。
すばらしい役員の皆さんのご協力のおかげで会の運営が成り立っています。ありがとうございました。
文責 久万田 昌弘