1月31日(木)のモーニングセミナーは、ホテル日航高知旭ロイヤルにて朝6:00より、(株)優樹 代表取締役社長 下野 政城氏(高知東倫理法人会 研修委員長)より『凡事徹底』と題して講和を行なっていただきました。
まずは中越会長から「今年は334日残っている、またそれしか残っていない、要は考え方一つ。」また、ロンドンオリンピック重量挙げで金メダルを獲得した三宅宏実の話があり「毎回金メダル候補であったが、毎大会5位~6位と期待に応えられなかった辛い経験、過酷な練習を続けることによる積み上げの精神、鍛え上げられた体、青春を賭けた戦いに感銘を受けた。」との挨拶がありました。
続いて下野氏の講話です。
氏は、四国で唯一、原発を保有している愛媛県西宇和郡伊方町の出身で、太平洋戦争真珠湾攻撃で海中から攻撃した特殊潜航艇の練習場になった三机 ( みつくえ ) 湾など歴史に名を残す街です。氏はその伊方町佐多岬半島で4人兄弟の末っ子で生まれ、4700gもの健康優良児だったようです。
自然に恵まれたいい環境ですくすくと育ちますが、小学校から中学校まで1クラス、また島民はほとんどが顔見知りという人口の少なさもあり、良いことも悪いこともすぐに広まるといった困った点もあったようです。
高校は隣町の三崎町へ行くことになります。入学祝いには3番目の兄から時計と赤いスニーカーをプレゼントされ、また学生服は中学校時代の先輩方から当時の一部の方たちに流行っていた個性的なデザインの学生服をいただけたようです。
そして、当時の高校は3クラスしかありませんでしたが、隣町で知り合いがいない為、いままでの規制から逃れるように高校生活をエンジョイするつもりで先輩からいただいた個性的な制服で入学式に向かいましたが、目立ちすぎたせいか2日目から高校の先輩方に囲まれるといったハプニングがあったとの事です。
しかし、そういったハプニングに際しても、「なんとかなるだろう」と考えていたようで、下野氏の度胸の大きさが伺えます。ちなみに革靴ではなく、スニーカーをプレゼントした兄の真意は、そういったトラブル時に「逃げやすいから」だったようです。それからの高校生活は自由で楽しくのびのびと過ごせていたようですが、病気以外の欠席を除き、無遅刻・無欠席で通学するなど真面目な一面もあったようです。学生生活の夏休みや冬休みなどの長期休暇と部活の無い土日は、兄のアルバイト先のガソリンスタンドを手伝っていたようで、兄弟間の仲の良さを強く感じられます。
下野氏の父は9ヶ月間は船上いるという外国航路の船乗りで、家族との触れ合いが少なく寂しい思いをしていたようなので、下野氏が小さい時から大人になった時まで怒られたことがなかったようです。しかし、そのお父様も正月は家族と過ごしたいとの思いから、下野氏の高校在学中に9ヶ月航路を3ヶ月航路に変更し、家族との時間を持つようにしたようです。今まで参加できなかった参観日、学校行事を取り戻すように、航路変更後は下野氏の高校へ足繁く通ってくれたとの事でした。
下野氏の目標となっている「凡事徹底」は、以前の会社の社長から下野氏が32歳の時に紹介された鍵山秀三郎著、「凡事徹底」がきっかけになっており、「当たり前のことをあたり前のように続ける」「単純なことを極めていく」と理解されているようです。
下野氏は、「当たり前のように家族で食事ができていますか?共働きが増え、家族で食事ができない家庭が増えているように想います。私自身も単身赴任で家族の時間が限られています。」と家族との時間、当たり前のように思える時間を作っていますか?と会場内に問われ、その言葉には「その時間を大事にして下さい」と言われていると感じました。
高校卒業後は、家族からは大学進学の薦めもあったようですが、ホテルで働いてみたいとの思いからホテルへの就職を希望。愛媛県松山市にある有名ホテルへの就職を希望していましたが、下野氏の学校へはそのホテルからの求人が無かったようです。意を決した下野氏は、無理を承知で自分から有名ホテルへの求人を依頼しました。程なくして学校に求人募集が届いたようですが、学校ではなく、下野氏個人名義宛で求人募集が届いたようです。これには、下野氏だけではなく、学校も驚かれたようでした。
就職試験は、有名大学の面々が集まっており面接試験で目立つしかないと考えた下野氏は、マニュアル通りに答える各受験生の中、自分の性格を一言での質問に「僕は爽やかバカです。」大きな声で答えたようです。総支配人を含め、会場全体が大爆笑に包まれ、この笑いに気をよくした下野氏は面接を難なくこなし、無事に就職試験を合格。就職後は、社内の人間関係や接客とも、特に問題もなく務める事ができ、今までアルバイト等で自分を教育してくれた両親や兄のお陰と感謝の気持ちが湧いてきたようです。
その後、宴会部門や各部署に配属され、その場所その場所で下野氏の人間関係を築いていきますが、その中でも和食の料理長との出会いは大きかったとのことでした。下野氏はこの和食の料理長に大変気に入ってもらっていたようで、下野氏を再三銀杏取りに誘っていたようであります。しかし、この銀杏取りには、松山競輪場へ行くという思惑があったようで、一人で競輪場へ行くのが寂しい料理長が下野氏を誘っていたとの事でした。この競輪が好きな料理長の影響がありながら、下野氏はホテルで2年半働いた後、体力と根拠の無い自信に突き動かされ競輪選手を目指す事になります。
しかし、その挑戦も半年で失敗しました。原因は怪我です。競輪の練習は過酷で朝5時から一日中練習が続き、ある日の練習では、松山~高知間を日帰りし、その後競輪場で練習という事もあったようです。元々の真面目な性格から一気に練習し過ぎた事からの怪我ですが、病院に行ったときにはプロの競輪選手としてはもう手遅れだったようです。
その後、地元に帰りアルバイトをしていたが、父親から新規ホテルオープンの情報がありそのホテルへ就職、更に半年後、以前の有名ホテルの上司からリニューアルオープンのホテルの情報が入り、新しいもの好きな下野氏はそのホテルに就職することにしました。そこで妻と運命の出会いをしました。
初めての出会いは、一番最初に就職したホテルで学生アルバイトとして働いていた時でした。この時は一言しか会話せず、お互いに「もう会うことはないだろうな」と思っていたようです。しかし、今回のホテルで再開した下野氏は運命的なものを感じ、兄がガソリンスタンドを始める事になり、それを手伝う為に田舎へ変えることをきっかけにプロポーズをしたようです。
田舎に帰りあっという間に子供が3人、調子にのった下野氏はマイホームを建てました。自然豊かな環境で、子供はすくすく育ち、家の前の畑から取れる作物、父親の船で取れる海の幸でほぼ自給自足の生活で過ごしておりました。しかし、時代への変化に伴い、家庭燃料がガスから電気へ、それに加え過疎化による需要世帯の減少から、下野氏は32歳で単身赴任で働きに出ることを決意します。
場所は愛媛県西条市にあるFCチェーンのレストランでした。今回の転職では、以前の転職時とは状況も変わり、結婚、子供が3人いるため後戻りはできないと強い決意をもっての就職でした。一日でも早く多くの収入を得、家族を自分の下に呼ぶことを目標に頑張ったようです。その甲斐もあり、4ヶ月目には店長職で移動することになりました。
また、下野氏はこの転職でもいい出会いができたようで、本日の講話のお題にもなっている本『凡事徹底』はこのFCチェーン店の社長からの紹介との事です。この社長は、忙しい業務の中、週2回程度、下野氏の為に訪問し、この『凡事徹底』を読み合わせしてくれたようです。こういった社長の期待に応えるためにも下野氏は本を理解できるように熟読し、また業務に対しても積極的に取り組まれたようです。
店長職で移動した新居浜のレストランでは、念願であった家族を呼ぶことができました。しかしながら、嬉しい事の反面、このレストランでは長年勤めているパート従業員の権力が強く、シフト管理についても大変苦労されたようで、社長からの「思うようにやれ」という言葉と下野氏の負けん気でなんとか乗り越えられたようです。このレストランでの経験が自分を大きく成長させることができたと下野氏は語っておられました。
このレストランチェーンでも次に継るいい出会いがありました。このレストランチェーンで共に苦労した同僚の店長が建築会社へ転職することになります。この店長が高齢者専用マンションの担当となり、その店長から「高松に同様の施設が出来る。その施設向けの食事を作る会社が立ち上がるが、そこで働いて見ないか?」との紹介があったようです。
下野氏はその紹介を受けて働くことになります。そのマンションは高知にもあり、その事から下野氏は高知で仕事をするようになりました。それから業務に従事し、約2年前、当時の社長から会社の株式を全て買取り独立することになったとの事です。
それからも様々ないい出会いがあり、「なのはなプラン」の橋田さんの紹介で倫理法人会に入会することを決められたようです。
モーニングセミナーや創始者勉強会での気付きを携帯に保存され、迷った時には繰り返し聞いてその迷いを乗り越えられと話されていました。
倫理法人会へ入会してから、以前は思った事がすぐに口から出る短気な性格が少しずつ改善されるなどいい効果が出ているとの事です。
最後には、従業員に対しての感謝の言葉があり、下野氏の暖かい人柄を感じる事ができました。
様々な人との出会いを大切にされ、またその出会いから苦難を乗り越えられてきた下野氏の体験談は大変勉強になりました。有難うございました。
(文責 濱田洋光)