9月13日(木)のモーニングセミナーは、ホテル日航高知旭ロイヤルにて朝6:00より、(株)伸光堂 代表取締役 中越忠男氏(高知市倫理法人会 会長)より、『汗を流して、そして工夫する人生』をテーマにご自身の実体験を赤裸々に語っていただきました(出席者総数30名)。
まずは、中越会長より、「会長をお引き受けし、モーニングセミナーの日は朝4時に起きています。その他の日は朝5時に起きるようになり、早起きをすることでいろいろなことを気付くようになりました。朝、原稿のチェックをすることで印刷ミスもほとんどなくなり、売上も前年対比120%になりました。倫理の間に仕事をしています。」と力強く挨拶されました。
会長挨拶のあと、再度、本日の講師である中越氏の登場です。
中越氏は、高岡郡梼原町にて昭和14年4月、6人兄弟の4番目で次男として生まれ、現在73歳です。
「幼少の頃、母が他界しました。中学卒業後は貧困のため高校に行けず、本州の地で山の伐採夫として働きました。しかし、このままでは私の人生は終わりだと危機感をもっていた頃、たまたま恩師から須崎市の印刷会社に住み込みの仕事を紹介してもらい、高知に帰ってきました。」
しかし、その会社も2年勤めて夜逃げ同然で退社したそうです。
「寝る間を惜しんで働きましたが、住み込みの給料が1ヵ月3,500円、その中から食費2,000円を引かれていたため、いくら働いてもお金が残らなかったからです。」
その後、高知追手前高校(定時制)に入学。
「新たな印刷会社に”私は印刷の職人です”とウソをついて入社しましたが、すぐにばれました。しかし、努力して3ヵ月で職人と言われるほど印刷技術をマスターしました。」
高校4年生の時、学校の1年先輩で、2歳年下の市民病院で看護婦をしていた現在の奥様と結婚。
「”必ず自分の家を持つから”を口説き文句で説得し結婚しました。そのとおり27歳で家を建てることができました。」
中越氏は、土方、炭やき、百姓、山師、印刷会社、文具店を渡り歩き、最後の文具店の2社とも専務を務めたそうです。
「昭和52年4月に社員3人で6坪の借家で独立しましたが、まだ実績がないのでリースも組めず、悔しい想いをしました。営業車を購入する時も妻に保証人になってもらってやっとOKが出たくらいです。」
「私は、その悔しさをバネに、社員が安心して誇りを持って働ける会社、社員が家族を幸せに出来る会社作りをしようと決心しました。」
昭和52年12月に法人化し、株式会社伸光堂が誕生しました。
「会社が大事にするものとして、1番に社員、2番に仕入先、3番に得意先です。お客様の要望に応える、社員が安心して働ける、家族が安心して出社できる体制づくりを心がけてきました。」
「創業以来、年に一度の敬老の日に、社員を育てていただいたご両親へ御礼の品物とお便りを贈らせてもらっていました。しかし、今や感謝申し上げるご両親もいない方々も多くなり、現在は日頃支えていただいているご家族の方へ、年に一度お手紙を送らせてもらっています。」
「私の会社は利益を出すことに誇りを持っています。創業して36年目となりましたが、毎年増収増益です。現在、戦後14回目の不景気です。しかし、幼少期の体験を考えたら何でもないことです。今がチャンスです。」
最後に、「企業はトップの器以上になりません。目的・理念の確立と生活習慣を整えることが大事です。私達は企業発展の仲間作りを目指しています。これからも朝が早いことを喜ぶ仲間作りをしながら、共に栄え、さらにその力が地域社会に貢献できるように会社作りをしていきましょう。」と力強く語っていただきました。
中越氏は、いつも斬新なアイディアで高知市倫理法人会を良くしようと努力されています。ますますのご活躍を期待しています。
モーニングセミナーの後、会場内でおいしいパンとコーヒーで中越氏を囲んで朝食会を開催しました。
早朝よりご参加頂きました皆様、本当にありがとうございました。
(文責 久万田昌弘)