9月3日のモーニングセミナーは「我が人生に悔いはなし」をテーマに白土建築工房 代表 白土圭志氏にお話いただきました。(20社32名)
白土さんは昭和37年福岡のご出身です。お父さんの事業が失敗し倒産。夜逃げ同然で高知へ来られたそうです。不自由のない暮らしをしていた時は、将来はアメリカに渡り、自分の力を試したいと考えていたそうですが、15才のときの、不渡りの電話を受けたときから人生が一変したそうです。
香川の大工さん(お父さんの友人)のところで住み込みで朝4時から夜12時まで働き、次第に体調も壊していきました。そして自殺も考えたそうです。今日は死のうと思ったときたまたま親方が褒めてくれたりするなど、自殺を思いとどまったことも何度かあったそうです。香川での2年の修行が終わり、高知に帰り、高知でも住み込みで15年働いたそうです。
その建築屋さんは兼業農家だったそうで、とても家族愛にあふれる職場だったそうです。仕事で問題が起きると、そのおかみさんは、いつも鍋を作ってみんなでつつきながら、団欒の中で疲れを癒してくれたそうです。
苦しい時に救ってくれたのは、そのご家族の優しい愛情だったそうです。悩みを聞いてくれたり、おにぎりをつくってくれたりと言う、何気ないことに本当に感謝しているとおっしゃっていました。
今の職場には9名の職人さんが働いているそうです。職人さんたちは遅くまで働いてくれるそうです。その職人さんたちに早く帰るように行っても、6時からは自分のために勉強しているのです、とがんばってくれるそうです。そして何にもまして、「自分たちはお客様から給料をもらっている」と言うことをとてもよく理解し、行動してくれるので、お客様からもよく褒めていただけるそうです。
白土さんのモットーは、家の安作りはしない、下請けさんにも一円たりともねぎったりしないそうです。こうしたことから、下請けの方々からも「白土さんの仕事だけは一番大切にする」と言っていただけるそうです。
また、家は長年住むものなので、将来のアフターサービスを考えると有名な大きな住宅メーカーを希望されることが多々あります。それではと、白土さんは自分の弟子を育てていき、将来はこの弟子たちが私の後を継いで将来のアフターサービスもできることをお伝えするそうです。お客さんの家を訪ねて、私の名刺でなく弟子の名刺を電話の近くに張ってくれているのをみて感激したそうです。
県外の仕事も引き受けるようになり、将来の大きな夢は「パリに日本建築を建てる」ことだ、と宣言いただきました。
一番弟子の野村さんに突然、お話をしていただきましたが、「育てていただいているという思いが伝わり、その思いになんとしても応えたい、家を建てる仕事がおもしろい」とおっしゃっていました。お話を聴きながら、白土さんの本当に暖かく弟子の皆さんへの思いやりが感じられます。この人になら、ついていってもいいなと思える白土さんの人柄に益々惚れてしまいました。
仕事でのエピソードや職人さんたちにも、是非お話をお聴きしたいですね。
本当に並大抵の苦労ではないご苦労をされたからこそのあったかいお話でした。
ありがとうございました。
文責 藤田 和彦